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パリ旅行(2009) ブログトップ

フランス旅行記(1) [パリ旅行(2009)]

今回久しぶり(18年)にフランスの世界遺産と美術館巡りをしてきた。メインはモン・サン・ミッシェルだったが、それ以外にも興味ある出来事があったのでまとめてみた。
気温は、前半の4日間が寒く、後半の2日間がポカポカ陽気で、時差と気温に慣れるのに苦労した。
スケジュールは以下のとおりで、盛りだくさん過ぎるぐらいのメニューが旅行社により用意されてい
て結構楽しめる内容だった。
また、新型インフルエンザの影響を心配したが、フランスでマスクをしているのは日本人だけで、地
元の人でマスクをしているのは皆無だった。彼らのほうが異様に感じたに違いない。
1.時期 : 5月14日ー21日
2.主なスケジュール:
   1日目 : 成田→パリ(泊)
   2日目 : パリ→シャルトル→トゥール(泊)・・・シャルトル大聖堂、シュノンソー城、シャンボー
          ル城等の見学
   3日目 : トゥール→モン・サン・ミッシェル(泊)・・・モン・サン・ミッシェルの見学
   4日目 : モン・サン・ミッシェル→ルーアン→ジベルニー→パリ(泊)・・・ルーアンではノートル
          ダム大聖堂、ジャンヌ・ダルク教会を見学。ジベルニーではモネが半生を過ごした
          アトリエや庭園を見学
   5日目 : ルーブル美術館、セーヌ川クルーズ等の市内観光
   6日目 : ベルサイユ宮殿、オルセー美術館等の観光
   7日目 : 自由行動。モンマルトル、オランジュリー美術館、オペラ座等の観光。
          夜空港に向かい成田に向けて発つ。
   

 

フランス旅行記(2) [パリ旅行(2009)]

初日は、12時間のフライト後パリのホテルに直行。寝るだけだ。
翌朝8時にバスでホテルを出発、一路南に向かう。最初の訪問地はパリから約90km(約90分)のシャルトル。どこまでも真平らで、農業国フランスを象徴する田園風景が続く。日本と違って高速道路を走る車の数は少なく、渋滞も無く快適なドライブを楽しむ。到着後ステンドグラスの美しいシャルトル大聖堂を見学。
 その後ロワール川沿いに点在するシュノンソー城、シャンボール城、アンボワーズ城などの世界遺産を見学。いずれも王侯貴族の狩猟用の城として建てられたもので、そのうちの一つの敷地は、山の手線のなかと同じ広さと言われると、驚きとあきれることしきり。
シャンボール城では、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したといわれる二重螺旋階段を登ってみる。確かに、2つの階段を使えば、人に出会うこともなく3階まで昇り降りできる。
途中、ロワール地方産のワインを試飲してほっと一息つく。
その後再びバスに乗り、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍を撃退したというオルレアン経由でトゥールに入る。

フランス旅行記(3) [パリ旅行(2009)]

3日目はトゥールからモン・サン・ミッシェルまでのバスの旅。行けども行けども広がる田園の中をひた走る。放牧されている牛は見えるが人の姿はない。時折、小さな村落と町にぶつかるがすぐに通り過ぎてしまう。走ること4時間、バスの車窓からモン・サン・ミッシェルの塔が見えたときは「やっときた」という思いから一斉に拍手がおこる。まるで海に浮かぶ城砦という表現がぴったりする。
対岸の陸地から約2km,潮の満干の差が15メートルもあり、以前は干潮のときにできる干潟を歩いて渡ったそうだが、今では道が作られ、直接島まで渡ることができる。
モン・サン・ミッシェルは、708年、ノルマンディ大司教が3度におよぶ大天使ミカエルのお告げ(この島の頂上に礼拝堂を作るべし)を受けてつくられた修道院だ。その後幾多の変遷を経て現在の姿になったという。急な坂道(石段)を登ること10分強、やっと頂上の教会にたどり着く。教会の尖塔にある金色のミカエル像を創った人が、自由の女神を創ったと聞く。
訪問したのは干潮時だったので、海水ははるか遠くにしか見えない。教会のテラスから望む周囲の景色は、砂浜がどこまでも広がっており、その雄大さに自然の神秘を感じる。
島内は狭く、人口は41人と少ない。しかし、巡礼者と観光客が年間250万人訪れるというから驚きだ。今日も、門前市をなすごとく人,人,人の行列が続く。
泊まったホテルの立地がよく、モン・サン・ミッシェルが真正面に見えるだけでなく、夜になると9時半頃からライトアップされ、暗闇に浮かぶモン・サン・ミッシェルの姿は神秘的で、ひときわ美しく映える。合掌。
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フランス旅行記(4) [パリ旅行(2009)]

4日目はモン・サン・ミッシェルを発ち、ルーアンに向かう。
ルーアンはジャンヌ・ダルクが捕らえられて魔女としての裁判を受け、生きたまま火あぶりの刑になったところ。その跡には近代的な教会が建っている。合掌。その足でルーアン大聖堂を見学、この聖堂はモネが正面をいろいろな色彩のタッチで連作で描いたところとして有名。この絵を、2日後にオルセー美術館で観ることになる。  
 またルーアンは、遠藤周作が戦後まもなく留学して書いた滞在記「ルーアンの丘」の舞台でもある。 
ルーアンからバスでジヴェルニーに入り、モネが後半生の43年間住んだ家(アトリエ)と花が咲き乱れる広大な庭園、さらに「睡蓮」の連作を描いた池を見学。ところが、「睡蓮」の絵はそこには無く、3日後にパリのオランジュリー美術館で対面することになる。見学者の多さにびっくりする。
さらに驚いたのは、モネは日本の浮世絵に影響を受けたと言われるだけあって、写真でしか見たこともない広重や歌麻呂、北斎などの浮世絵が所狭しと展示してあるのは壮観というほかはない。
後ろ髪を引かれる思いでバスに乗りパリに向う。途中エスカルゴ料理を食べてホテルに入る。
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フランス旅行記(5) [パリ旅行(2009)]

パリでは3泊し、ベルサイユ宮殿(半日)、凱旋門、エッフェル塔、ノートルダム寺院、セーヌ川のクルージング、シャンゼリゼ通りの散策などのお決まりのコースに、今回は自由時間があったので、ルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館を回り、さらにオペラ座見学を追加した。
特に、今回はじめて訪問したオルセー美術館では、モネ、ルノアール、シスレーなどの印象派の画家やセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの後期印象派の画家の絵画が所狭しと展示されており、その他ミレーの「落穂拾い」や「晩秋」などの名画を堪能することができた。また、ルーアンで観ることができなかったモネの「ルーアン大聖堂」の連作に出会うこともできた。
また、オランジュリー美術館は、ルーブルやオルセー美術館と違って閑散としており、モネの連作「睡蓮」(つなぎ合わせると91mにもなる大作)の絵の前で、しばらく椅子に座って、2日前に見た池の風景を思い出しながら、ゆっくりと観ることができた。
それともう一箇所、オペラ座で天井に描かれたシャガールの華麗な絵を見ることができた。ここではまた、昔見た「オペラ座の怪人」のシーンを思い出すことになる。
さらに今回初めてパリの地下鉄に乗り、モンマルトルの丘に足をのばしてみた。晴れていたので、丘からは眼下に広がるパリ市街地を眺望することができた。ここは夕方になると夕日を観るために多くの人が集まると聞いて納得。そして近くにあるテルトル広場では、似顔絵の誘いをいなしながら画家の卵たちの絵を見物。気に入った一枚の絵を求める。


フランス旅行記(6) [パリ旅行(2009)]

食事はフランス料理で通すつもりだったが、さすがに飽きてきて、最後の日の夕食を日本料理にすることにした。ところが日本料理店(もちろん日本人が経営)だから支払いのほうも日本円でと思ったら受け取ってもらえず、それではドルはどうですかといったらそれはさらにダメだと言われ、結局ユーロしか受け取ってもらえませんでした。
一昔ならば、ドルは喜んで受け取ってもらえただけに、今回の金融危機以来、生活者レベルではドル資産離れは予想以上に進んでいることがわかった。それだけユーロへの信任が進んでいるということでもあります。
 今は金融秩序が一時的に混乱しているだけでまた元の状態(ドルの信認)にもどるのか、それとも混乱の後には複数の機軸が見えてくるのか―世界経済が立ち直った時、どのような通貨の体制になるのかーもう少し様子を見る必要がありそうだ。そのときには、新しい金融の地図とルールができるのかも知れない。
 それともう一つの話題。以前ならば有名ブランド品のお店のカウンターには、日本人が列をなしていたものが、今回は人影もまばらで、昔日の面影を失っていました。心なしか、シャンゼリゼ通りの人の数も少なくなっているように見えました。

フランス旅行記(7) [パリ旅行(2009)]

今回利用したのがAF(エール・フランス航空)だったので、フランス流の機内サービスを体験することができた。
食事の時間になると、客室乗務員は機内食を配ることになるが、日米の航空会社ではまず全員に食事を配り、その後で飲み物を聞いて回るのが普通だ。ところが今回は、食事とコーヒー等の飲み物を同時にサービスしようとするので、一人ひとりのサービスはそこで完結するが、待っている人のところにはなかなか回ってこないので、多くの人がいらいらして待っているということになった。そのため、最後の人のところに行き着いたときには、最初の人たちはすでに食べ終わって別のサービス(飲み物)を受けているのだ。
渋滞の心理学からすると、一度にどっと配って、一斉に食べて一斉に終わるというのは、ものごとを渋滞させることになる。それを避けるには、このやり方は合理的なのかも知れない。
しかし、いらいらして待っているのを見ても知らん顔をしているのを見ると、やはり一斉に配るほうに軍配をあげたい。


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